スタッフの独り言

自立生活では、自分のことを自分で決める自由が増える一方、自分の行動が他者に及ぼす影響も、自分で引き受けていく必要があります。

Nicoには、その両方を練習する機会があります。

自立生活に近づくにつれて、誰かに決められることは少なくなっていきます。

何時に起きるのか。
何を食べるのか。
お金を何に使うのか。
働くのか、学ぶのか。
困ったときに誰に相談するのか。

そこでは、何かに縛られていない状態、いわゆる「~からの自由」を感じることもあるでしょう。

けれども、「~からの自由」は、「では、自分は何をしたいのか」「何を大切にして生きていくのか」まで教えてくれるものではありません。

選べるということは、思っている以上に難しいものです。

選択肢が増えれば迷います。
一つを選べば、選ばなかった可能性も残ります。
そして、自分で選んだ結果について、誰かにすべてを委ねることもできなくなっていきます。

E.フロムは『自由からの逃走』の中で、自由になった人間が、必ずしも自由を心地よく感じるわけではないことを論じました。

自由になることは、ときに孤独や不安を伴います。

誰かがそばにいて、何をすればよいか教えてくれる。
正解を示してくれる。
間違えそうになれば止めてくれる。

そのような環境から離れるほど、人は自分で考え、自分で選ばなければならなくなります。

だから、自由にはある意味で、孤独に耐える力も必要なのだと思います。

もちろん、それは「一人で何でもできるようになる」という意味ではありません。

ひとりで考える時間や、すぐに答えが出ない不安に耐えながら、それでも必要なときには人に助けを求める。

そんな力です。

自由であることが不安だからこそ、人は「絶対的な答え」を求めたくなるのかもしれません。

誰かに決めてもらえれば迷わずに済みますし、うまくいかなかったときに、その選択をすべて自分で引き受けなくても済みます。

けれども、自由にはもう一つの側面があります。

何かから解放されるだけではなく、自分が大切にしたいものに向かって、自分の力を使って生きていく自由です。

「~からの自由」だけではなく、「~への自由」。

自由とは、何をしてもよいということではなく、自分の力をどこに向けて使うのかを自分で選ぶことでもあるのだと思います。

そのためには、外側から与えられる答えだけではなく、自分の内側の声にも耳を傾ける必要があります。

「本当はどうしたいのだろう」
「何を大切にしたいのだろう」
「人からどう思われるかではなく、自分は何を選びたいのだろう」

そうした問いに、すぐ答えられる人ばかりではありません。

他人の期待と自分の希望が混ざっていたり、失敗するのが怖かったり、選ばなかった可能性が気になったりすることもあります。

だからこそ、自分の内側の声を確かめ、自分で選ぶことそのものにも練習が必要なのだと思います。

Nicoは、そうした「~への自由」、積極的な自由のための練習をする場所でもありたいと考えています。

自分で選んだ仕事に挑戦してみる。
自分なりの生活のリズムをつくってみる。
好きなことを深めてみる。
人との関係をつくってみる。
一度決めたことを、やってみた結果から考え直してみる。
そして、困ったときには自分から助けを求めてみる。

どれも、誰かに正解を教えてもらうだけでは身につかないことです。

だから、Nicoでは人生の「絶対的な正解」を教えることはできません。

それは、支援者が何も知らないからではありません。

その人にとって何を大切にしたいのか、どの道を選ぶのかは、最終的には本人が決めることだからです。

支援者が本人の代わりに人生を選ぶことはできません。

でも、答えを一緒に探すことはできます。

迷っているときに、そばにいることはできます。
選択肢を一緒に整理することもできます。
「なぜそう思ったのだろう」と一緒に考えることもできます。
一度やってみて、うまくいかなかったときに、もう一度考え直すこともできます。

答えを与えることはできなくても、答えを探す時間に一緒にいることはできる。

それが、支援者にできることの一つなのだと思います。

もちろん、最初から「自分はこうしたい」と明確に言える必要はありません。

「親に言われたから」
「病院で勧められたから」
「支援者から紹介されたから」

利用のきっかけは、それでも構わないと思っています。

ただ、Nicoで生活していく中で、

「自分はなぜここにいるのだろう」
「どんな生活をしたいのだろう」
「自分でやってみたいことは何だろう」

そんなことを、少しずつ自分の言葉で考えていってほしいと思っています。

そして、自由とは好き勝手にできることではありません。

例えば、火の元を離れないこと。
時間を守ること。
外出するときに必要な連絡をすること。

一見すると、それは自由を制限するルールのように見えるかもしれません。

しかし、自分の行動は自分だけで完結するものではありません。

火事になれば隣の人を巻き込みます。
約束の時間に現れなければ、誰かが心配し、探すことになります。

地域で暮らすということは、自由になると同時に、他者とともに暮らすということでもあります。

だからNicoで練習したいのは、「何にも縛られないこと」だけではありません。

自分の内側の声を確かめ、自分で選び、その選択が自分や周囲にどんな影響を与えるのかを考えながら、自分なりの方向へ進んでいくこと。

それが、「~からの自由」の先にある「~への自由」なのかもしれません。

そして、自立とは、誰にも頼らなくなることではありません。

困ったときに、「困っています」と言えること。
一人では難しいときに、「手伝ってください」と言えること。
自分に必要な支援を、自分で選んで求められること。

援助希求できることも、立派な自立です。

すべてを一人で抱えることが自立なのではありません。

孤独や不安に耐えながら、自分で考え、自分で選び、必要なときには誰かの力を借りる。
そして、助けを借りても、自分の人生の選択そのものまで誰かに預けてしまわない。

選ぶのは、本人です。

でも、選ぶことまで一人でやらなければならないわけではありません。

自分の内側の声に耳を傾け、ときには人と一緒に考えながら、自分の生活を自分のものとしてつくっていくこと。

自由であるということは、案外、簡単なことではないのだと思います。

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